川瀬慈 トーク採録「共につくる風景、終わることのない映画」

川瀬慈 トーク採録「共につくる風景、終わることのない映画」

 

企画名:風景/映画再考Vol.3「映像人類学が映し出す風景」
日時:2017年12月13日(水)
場所:ことめや
上映作品:
『ラリベロッチ-終わりなき祝福を生きる-』(川瀬慈、30分、2007年)
『ザフィマニリスタイルのゆくえ』(川瀬慈、35分、2014年)
企画・進行:佐々木友輔
協力:蛇谷りえ(にんげん研究会)、赤井あずみ(ことめや)、村上大樹

 

『ラリベロッチ-終わりなき祝福を生きる-』

佐々木:本日は、映画作家であると同時に映像人類学の研究者でもある川瀬慈さんをお迎えして講座をおこないます。小さな会場で距離も近いので、来場者の皆様もどんどん議論に参加していただけたらと思います。それでは川瀬さん、どうぞよろしくお願いします。
川瀬:こんばんは、川瀬と申します。よろしくお願いします。今日お見せする作品は2本ありまして、どちらもアフリカで撮られた作品です。
一つ目は『ラリベロッチ-終わりなき祝福を生きる-』。エチオピア連邦民主共和国で撮られた、ある音楽集団についての映像です。エチオピアはアフリカ北東部にある国で、僕は2001年以来、16年間ほど通い続けています。エチオピアの北部にはラリベロッチと呼ばれる音楽集団がいて、日本語でいうと「門付(かどづけ)」に似たパフォーマンスをする。門付とは、家の軒先で踊りとか歌とか、コミカルな演劇とか漫才とか、何らかのパフォーマンスを行い、その家の人たち、あるいは地域社会を祝福して、それに対してお金や食べ物をもらう。そのような、アフリカでは非常に珍しいパフォーマンスを世襲でやっている集団の夫妻を捉えた30分の作品です。
僕は研究を始める前はバンド少年で、カナダと日本で音楽ばかりやって生活していました。入学した京都大学大学院にアフリカ研究の拠点があって、当初はアフリカの鍛冶研究を行うよう教員から提案がありました。しかし僕は鍛冶屋なんて興味ないから、音楽に関わる研究をしたいと言って最初のフィールドワークをスタートさせたわけです。
初めてエチオピアに行った2001年に、北部の町でこの集団にばったり出会いました。当集団に関しては知っていたのですが、まさか出会えるとは思っていませんでした。この集団の、空間を支配していくような声の力に圧倒されたというのもあるのですが、同時に「歌」というもの、音楽というものが、歌い手と聞き手のコミカルかつアグレッシヴなやりとり、豊かで密なコミュニケーションから生成していく様子に強く惹かれました。そういうところに視点を置いて映像で記録をしたかった。ラリベロッチと呼ばれる人たちの文化を記録するのはもちろん大事なのですが、同時に、路上で生成し展開する芸能のエネルギーに吸い込まれていった、というのが正直なところです。
ラリベロッチには不思議な言説が付与されています。エチオピアの人たちは、ラリベロッチは歌うのをやめたらハンセン病(昔はらい病という言葉を使いました)を患う。その病への恐れによって歌唱活動を続けていると信じている。この伝説に関しては、ラリベロッチの集団内でもいろんな解釈があります。本当に病が怖くて歌っているのか、あるいは映画の中でおじいさんが言うように、食べるために仕事としてやっているだけなのか、いろんな見解があって、なぜこの集団が旅を続け、歌い続けるのか、僕にもまだ分かっていません。本当に謎だらけで、今後検討するべき課題がいっぱいあるのです。


(『ラリベロッチ-終わりなき祝福を生きる-』上映)

 

川瀬:ラリベロッチは押し売りのセールスマンみたいに、大体朝の4時半からお昼の12時ぐらいまでにかけて活動して、正午を過ぎると滞在している宿に戻る。そういう活動を、一つの町において2週間から1ヶ月ぐらいやります。この集団を指して「放浪の吟遊詩人」という言葉がよく使われるのですが、完全な放浪じゃなくて、実は集団の村があります。自分たちが暮らす土地があって、家畜もいて、大体そこを拠点にしている。でもこの夫婦の場合は、1年の11ヶ月ぐらいは旅をして、歌い続けて生活をしている。その活動をしている間は、付近の農夫たちが土地や家畜の面倒を見ているという状況なのです。
先ほども申し上げたとおり、ラリベロッチの旦那さんと奥さんの歌の圧倒的な迫力にも惹かれたのですが、やはりストリートで展開する歌い手と町の人々とのやりとりこそが、ラリベロッチの音楽行為を語る上で非常に重要な点じゃないかなと思っています。彼らを邪険に扱う人もいれば、歓迎して、家の中にまで招き入れて歌わせる人もいる。こうした千差万別のリアクションが出来る限りカメラの1フレーム内に収まるように工夫しました。

ラリベロッチの歌

来場者:ラリベロッチの奥様と娘さんが入れ墨をしていましたが、あれは歌い手の家庭の女性に特有なものですか。
川瀬:北部の農村の女性に特有な、ネクサートゥと呼ばれる入れ墨です。あれはキリスト教、厳密にいえばエチオピア正教会への帰属を示す、ある種のサインなのです。

 


参考映像(『Tattoo Stories in Gondar』川瀬慈、2014年、8分、東京都写真美術館、第6回恵比寿映像祭インスタレーション)

 

来場者:彼らはキリスト教徒なんですね。
川瀬:キリスト教エチオピア正教会の信者です。けれど彼らはイスラム教徒に対しても歌うし、おそらく仏教徒を前にしても適当な歌詞をつくり上げてしまうかもしれません。ラリベロッチの歌は完全な即興じゃなくて、大体6割から7割ぐらいは決まった歌詞があった上で、残りの内容は歌いかける相手に応じて変えていくのです。これから歌いかける相手の情報を近所で積極的にリサーチするんですよね。あそこの家の人の名前は何、職業は何、宗教は何、と歌いかける相手についての情報を前もって得て、それを歌に反映させている。
来場者:ラリベロッチの歌は、大体奥さんが伴走するようなかたちですね。
川瀬:そうです。男女のペアで歌う場合は、奥さんのほうは歌詞がないパートを担当、男性が歌詞のある歌を歌って、そこに被さるかたちで女性のパートが来て、というのが延々と繰り返される。あうんの呼吸でね。この歌は、お金を支払うまで、場合によってはご飯とか衣服とかを渡すまで、延々と続きます。ラリベロッチの声量はすごくて、まだベッドの中に入っている朝の4時半から5時ぐらいにいきなりサイレンが家の前で鳴るような感じです。だから歌のメロディーや歌詞を楽しんでいるのは僕ぐらいで、近所の人にとっては迷惑。早く行ってくれという感じで対応しています。
来場者:こういうメロディーをやっている人は他にもいるんですか?
川瀬:いますよ。今のは男性と女性、夫と妻という形態なんですけど、男性がシングルで歌う場合もあるし、女性シングルの場合もあります。シングルの場合は、歌詞のパートとコーラスのパートを一人の歌い手が交互に繰り返す。1人で両方のパートをやっちゃうんですね。あるいは母と娘という組み合わせもあります。

 


参考映像上映(ラリベロッチ母娘の斉唱、川瀬慈、2002年、アジスアベバにて)

 

川瀬:母と娘が畳みかけるようにして、コルビエ・ガブリエルという巡礼地に関連付けて人を褒めたてるような歌を歌っている。歌詞のあるパートの後に、母と娘が合流してコーラスのパートをユニゾンで歌って、また歌詞のあるパートに戻って、という。

秘密の言葉

川瀬:もう一つ重要なのは、彼らの言語です。いま皆さんに聞いていただいた歌は、現地の公用語的な言語、アムハラ語で、エチオピアの人ならとりあえず大多数が聞いても分かる言葉なのですが、ラリベロッチはそれ以外に秘密の言葉を持っています。歌詞と歌詞の間を縫うように秘密の会話を行い、「この家はたぶん金を払ってくれない、次の家に行こうぜ」というような商売に関わる情報を交換しています。僕自身も撮っているときは分かりませんでしたが、研究を続けていくうちに聞き取れるようになってきました。これはすごく面白いです。当集団の歌の研究はそこそこあるのですが、言語学的な研究はまだ全然ない。ラリベロッチのような職業集団が、「隠語」「ジャーゴン」という説明には収まりきらない、複雑で豊かな言語の体系を持っていることは、エチオピアの現地の人たちにもまったく知られていないのです。
例えば日本なら、テキ屋さんとか、あるいはかつての見せ物小屋の芸人たちも隠語を使います。ある語彙を、特定のパターンによって崩していく、言葉遊びのようなかたちで秘密の言葉ができていきます。エチオピア北部では鍛冶屋さんや皮なめしの集団、あるいは機織りの職能集団、いわゆる手に職を持った人たちが、隠語によるコミュニケーションで集団のみに有利な情報を交換していきます。外部の集団とは絶対に共有してはいけない、とされます。
エチオピアにおいてラリベロッチの音楽は、我々が考えるような自由な精神の発露であるとか、自由な創作、表現といったものではなくて、手に職を持つ職能集団によって担われる卑しいおこないとされています。ラリベロッチに「アーティスト」という言い方は合っていない。北部の音楽集団を理解する時、僕らが学校で学んできたような音楽に対する認識のあり方を一度ハンマーで割ってから組み立て直さないといけないのです。
エチオピアの人たちにとっては、やはりエチオピア正教会、北部の場合は教会に付随する儀礼音楽や賛美歌が神聖な音楽なのですよね。神様からの贈り物としての音楽。教会の活動に関連する音楽こそがオーセンティックなものであって、ラリベロッチのような職能者に担われる歌は卑しいとされる。もちろんこの人たちと結婚することも忌避される。一般人は、彼らと婚姻家系を結ぶと‟家にひびが入る”と言います。

撮影による変化

来場者:撮影をすると、普段とはあからさまに表現が変わるといったことはありましたか。
川瀬:最初はありましたね。当集団にすごく警戒されて、撮影にも調査にも全然協力的じゃなかったですけど、僕がこの町で3年半ほど生活して、それからも毎年調査で訪れてばったり出会ったりして、そういう時間の蓄積の中でだんだん打ち解けていきました。
同時にもう一つ重要だったのは、毎朝撮影した映像を、宿に帰ってからラリベロッチの夫婦に見せたことです。どういった狙いで研究をしているか、どういったアプローチで彼らの営みを記録しているかを説明すると共に、僕が分からなかった歌詞とか分からなかった行動について、カメラのモニターを指しながら夫婦に聞くことができて、また新たなコミュニケーションが生じる。様々な歌の技法やコミュニケーションの技法を、先ほどの秘密の言葉の交換も含めて学んできました。そこでぐっと近くなった。カメラを向けてもあまりギクシャクしない。彼らの顔がこわばることがなくなって、むしろ彼らと僕の間で共犯関係みたいなものが生まれてきた。旦那さんに「日本に帰ったらこの映像を売りまくって徹底的に学費を稼げ」と言われたり(笑)。もちろん商業ベースではやっていないので、売ることはないんですけど、彼にはそういうことをよく言われました。
来場者:歌を聴いて施しを与える側の人たちの反応はいかがでしたか。撮影されると態度が豹変するようなこともありましたか?
川瀬:もちろんありますし、そういうリアクションも含めて撮っていきたいですね。半分ぐらいは僕を知っている人なので、あからさまに笑って「また川瀬が来た」「またカメラを持って走り回ってる」みたいな感じで言う人もいます。

『ザフィマニリスタイルのゆくえ』

川瀬:次はエチオピア連邦民主共和国からマダガスカル共和国の島に移動しようと思います。『ザフィマニリスタイルのゆくえ』という35分の作品で、ザフィマニリと呼ばれるマダガスカル中央高地に住む民族を扱っています。本作の主人公は物を作る人々です。『ラリベロッチ』では音楽を扱いましたが、今回は物質文化です。物づくりとそれに付随するツーリズム、グローバリゼーションの問題を、僕の職場である大阪の国立民族学博物館のプロジェクトとして記録した作品です。
国立民族学博物館は、岡本太郎の《太陽の塔》のすぐ裏にあります。博物館と研究所、大学院という三つの機能を備えた人類学の拠点で、「みんぱく」というニックネームで呼ばれています。2013年に特別展「マダガスカル 霧の森のくらし」が企画されたのですが、『ザフィマニリスタイルのゆくえ』は元々はそこで展示をするためにつくられた作品ということですね。
3ヶ月の展示期間中は、10分ぐらいの短編をいくつか用意して、博物館内に設置したシネマスペースでループ上映していました。けれども、やはり30〜40分ぐらいの短編映画作品もつくりたいという考えがあり、今日お見せするバージョンが出来上がりました。こちらはいろんな学会や映画祭で上映したり、現地でも上映をおこなっています。
この作品は僕にとってチャレンジでした。10年以上ずっとエチオピアで研究をしてきて、この時初めて言葉が分からない場所で撮影する。慣れ親しんだ日本でもなければ第二の故郷エチオピアでもなく、職場のミッションでマダガスカルに飛ばされて、二週間のみで映画を撮れということになったわけですから。当時、マダガスカルで20年近く研究をしていた先輩・飯田卓さんと一緒に行きました。彼はマダガスカルのいくつかの民族の言語を話すことができるので、彼のヘルプがあって撮れた作品です。
ザフィマニリは、家具に幾何学模様のデザインを彫ったり、釘を一切用いない素敵な木造の家をつくったり、木彫りの技と知識が有名です。ちょうど20年前の1997年にユネスコ無形文化遺産に登録されて世界的に知られるようになった。世界中のいろんな国からツーリストがマダガスカル中央高地に押し寄せて、その結果、ザフィマニリの生活、あるいは彼らが培ってきた木彫りの文化も徐々に徐々に変容しつつあるという状況ですね。こうしたザフィマニリの物づくりを、村々の農夫や大工、あるいはツーリストや彼らを案内するツアーガイドのポートレートから描き出すのが狙いです。
では上映します。特別展の展示風景を記録した映像と、マダガスカルの映像が重なるようなイントロダクションから始まり、徐々にマダガスカルの生活圏にカメラが入っていきます。


(『ザフィマニリスタイルのゆくえ』上映)

川瀬:親たちが畑仕事をしている横で、子供たちが柄の長いシャベルのようなかたちをした農具で土を掘り、芋虫の幼虫を掘り出しているシーンがありました。あれは晩御飯です。白米の上にのせて食べます。すごいご馳走で、美味しいです。

消える文化、変わる文化

川瀬:それと、ノートパソコンを開いて村の人たちに映像を見せているシーンがありましたね。あれは、国立民族学博物館が1997年に撮影したこの村の映像を流して、村長さんをはじめとする村人たちの反応を見ていたという映像です。97年当時はまだ村長さんの奥さんが生きていて、糸つむぎ、機織りをやっていた。20年前にはあったこうした文化も、2012年には完全に消え去ってしまっていたのです。
来場者:1997年から2012年にかけて、15年というのはかなり短いですね。
川瀬:そうですね。ただ糸つむぎがおこなわれなくなったというだけでなく、映像を見せても、それが何なのかよく分からない。もちろん村長さんにとっては、自分の奥さんがおこなっていた懐かしい光景だけれど、孫世代、10代の子たちにピンとこない。すごいですよ。たった15年、あるいはそれよりさらに短い期間に、その土地では重要であった生業が完全に消滅していた、という事実を目の当たりにしました。もちろん職能、わざの世界だけじゃなくて、お祭りや儀礼、言語など、いろんなものがアフリカの地域社会において急激に無くなっている。アフリカに限らず、日本だって同じような状況です。
吹き矢を用いた狩猟も、1997年にはそこそこ残っていたようですが、現在はほとんどおこなわれていません。ツーリストに見せるための、遊び程度のパフォーマンスがあるぐらいです。物自体が残っていても、具体的にどう使うのか、という技術や知識は消え去ってしまっている。それと、1997年の映像には豚もけっこう映っていたと思いますが、今はいない。1週間ほど滞在しましたがまったく見なかったです。世界遺産の登録以降、人がたくさん押し寄せるようになって、豚泥棒にたくさん豚を盗まれてしまったという話を聞きました。
それから、ザフィマニリの人たちが被っていた帽子に気づきましたか? あれはマダガスカルでも当集団だけのものなんですね。民族にとってのシンボリックなものというよりは、防寒のための帽子のようです。高原で寒いので、頭が冷えますからね。特徴的な幾何学模様がありますが、それも何かを意味したり、象徴しているわけではなかった。しかし世界遺産の登録以降、彼らは「これは家族」「これは蜂」といった具合に意味付けをし始めます。外部の眼差しを受けて、自己プレゼンの方法が意識的にかたちづくられる。
前半、赤い帽子を被ったツアーガイドの青年が、ツーリストにいろんな場所を紹介していました。彼のお店にマスクが置いてあったんですが、僕はそのおかしさに気づいた。ケニアやタンザニアならわかるけど、ここの地域にはそもそもマスク文化なんてないのです。他にも、キリンなんて居ないのにキリンの人形があったりとか、マダガスカルに関係のないものがいっぱいある。それもやはりツーリストの到来を受けて、ツーリストが期待するアフリカ像への応答なのですよね。ユネスコとか世界遺産というと確かに聞こえは良いけれど、「無形文化遺産登録」を経てから、文化というものが悪い意味で「正調化」していくというか、ダイナミズムが削がれていくようなパターンもあるわけで、文化保護というアクションが決して良いとは結論付けられません。しかし他方で、そうした良し悪しを超えて、村の人びとの創意工夫を面白い現象だなと感じる部分もあります。

映像人類学とは何か

佐々木:上映作品の紹介をしていただいたところで、非常に初歩的な質問になりますが、そもそも映像人類学って何なんだろうということを伺いたいと思います。わたしたちはテレビや映画を通じて日常的に「ドキュメンタリー」と呼ばれるものに接していますが、映像人類学はドキュメンタリーと似たものなのか、まったく別物なのか。違うとすればどのあたりが違うのか。
川瀬:文化人類学という学問がありまして、そこでは、ある特定の場で長期間生活をして民族誌を書くことが、人類学研究者のもっとも重要な仕事であるとされています。フィールドワークという言葉がいろんな分野で使われていますよね。フィールドワークをして現地の言葉を覚えて、現地の人たちの生活文化というものを理解していく中で、民族誌という本にまとめる。そういった研究を、映像作品の制作を通してやるのが映像人類学の主要な仕事とされてきました。専門用語で民族誌映画(エスノグラフィックフィルム)という言い方をするのですが、これは一種のドキュメンタリー映画ということができると思います。人類学者による映画作品を中心に発表、議論する民族誌映画祭では、人類学のディスコースを意識しながら上映プログラムが企画され、作品が選抜される。いま、世界中で民族誌映画祭がすごい数に増えていまして、そういうところに作品を出品するのが僕らの活動の重要な一部分です。しかし、もちろん一般のドキュメンタリー映画祭にも出品する人類学者も多い。2013年の山形国際ドキュメンタリー映画祭では映像人類学の特集がありました。また東京都写真美術館の恵比寿映像祭でも、何度か映像人類学関連のインスタレーション、上映企画が組まれました。これまでは映画という表現形式、話法を通じて、文化を記録・分析していく活動が主流でしたが、もちろん映画だけでなく、写真やインターネットなど広範なメディアに射程を置いて議論する研究もあります。
佐々木:これも初歩的な質問ですが、映像人類学の上映会に初めて来た方にとっては、これは作品なのか研究なのか、あるいは、川瀬さんはアーティストなのかそれとも研究者なのかという疑問を持つ方もいるのではないかと思います。その辺りについては、どのような意識を持っておられますか。
川瀬:僕は基本的にフィールドワーカーなのだと思います。自分がアーティストかどうかというのはちょっと分からないですね。最近は、現代美術と文化人類学が急接近している。かつても人類学とアートのクロスオーバーはありました。しかし、僕がイギリスから日本に帰ってきてからの5年間を振り返ると、実践面での交流、意見交換、具体的な制作や発表方法の比較検討が活発化している。現代美術、文化人類学、映画の関係者がそれぞれの方法論を参照し合い、学び合う現象が起きている。特に関西はいますごく熱いです。非常にエキサイティングであると同時に、このような領域横断的な議論と交流を経て、我々にとって、人類学的な映像とは何かという問いを突きつけられている状況だとも思います。

コミュニケーション・ツールとしての民族誌映画

佐々木:なるほど、ありがとうございます。映画制作者の立場からは、そうした異分野間での議論や交流の媒介として機能すること自体が民族誌映画の一つの特色ではないかと思いました。『ザフィマニリスタイルのゆくえ』にも、村の人たちがかつて同じ村で撮影された映像を見るシーンがありましたが、それはやはり、テレビや映画館で見られる映画やドキュメンタリーとは大きく異なる映像の使い方だと思うんです。僕は例えば中谷芙二子のビデオアート『水俣病を告発する会』(1970年)や足立正生の『赤軍PFLP・世界戦争宣言』(1971年)を想起するのですが、要するに、ただ観客が「見るもの」として映画や映像があるのではなくて、一種のコミュニケーション・ツールとして作品が活用される。それゆえオープンエンドな構造を持っていて、議論や交流を踏まえて編集をし直したり、追加撮影をしたりして、作品自体も常にかたちを変えていく。
川瀬:すごく重要な論点だと思います。僕が一旦「完成」と見做したとしても、作品はそこからまた新たな旅を始める。作品を上映する環境や社会的な状況、それを受容する人たちの集団やコミュニティーによって全然違った読まれ方、解釈のされ方がされます。そういう意味では、僕にとって作品とは、さらなるコミュニケーションを生み出していくデバイスだと思っています。作品が完成したら終わり、やっと次に行けるという人もいるし、作品は一種の生き物だから放し飼いにして、作品自身に勝手に旅をさせれば良いじゃないかと言う人もいる。けれど人類学者はちょっとそのような立場はとりづらい。
作品が巻き起こす議論の中には、もちろん厳しい意見や反応もたくさんあります。例えば僕の場合、調査地のエチオピア北部社会の人たちに作品を見せる分には、それほどトラブルはありませんでした。しかしエチオピア国外を拠点に活動している知識人や政治団体に属する人たち、あるいはエチオピア文化保護行政に関わる役人たちの中には、自文化の表象に対して極めて強い理想を持つ人が多い。エチオピアやアフリカのイメージが映像によって歪められるというか、変なかたちで伝わってしまうことをすごく恐れている。僕がこれまでに撮ってきた、路上に生活の基盤を置く子供たちであるとか、路上で音楽行為をする職能者といった人たちは、以上の人々にとっては否定したい世界なのですよね。彼らはもっと荘厳なキリスト教正教会の宗教儀礼であるとか、あるいは世界遺産の遺跡であるとか、そういったものを見せたいんですね。美しい家の美しい玄関だけを見せたい。けれども僕は、家の中のごちゃごちゃした洗濯物とか汚いキッチンを見せたい。そこにこそ文化の動態が宿るのではないか、と。それでいつも、僕が選択する撮影対象に対して、役人やディアスポラ知識人が眉をひそめる。でも、この表象をめぐる議論、論争も面白いんですよね。僕が正しいわけでもなければ彼らが正しいわけでもないし、僕が間違っているわけでもなければ、向こうが間違っているわけでもない。黒と白をはっきりさせることが大事なんじゃなくて、映像を上映することによって喚起される視聴者のいろんな想い、感情の深淵を探求することも、僕はフィールドワークだと思います。映像を撮って学術映画祭で入選したから終わりじゃなくて、映像の上映が巻き起こすコミュニケーション、こちらが予期し得なかった相手のリアクションについては、これまでの映像人類学では等閑視されてきました。しかしそれは、我々が真摯に向き合わなければならない重要な局面だと思っています。

民族誌映画の様々なモード

佐々木:アートの世界では以前から人類学的なテーマが扱われてきたし、ワーク・イン・プログレスという考え方が浸透していて、作品の制作プロセスも見せるとか、コミュニケーションによって作品が生成されていくといったことが様々に試みられているので、映像人類学とアートの合流も自然な流れのような気がするんですね。他方で、映画はいまだにパッケージが非常に重要なものと見做されています。劇場公開する際には(字幕や吹替を除けば)世界中どこで見ても同じ内容であることが求められることもあって、厳格に表現形式が定められている。しかしその分、限定された形式の中で作品をどれだけつくり込めるか、一つの画面の中に複雑な問題や多義的な意味をどれだけ埋め込めるかに尽力してきたとも言えるわけですね。川瀬さんの作品を見ていて、そうしたアートの開かれた側面と映画の閉じた側面の良いとこ取りだなという感想を持ちました。コミュニケーション・ツールとしての活用が想定されている一方で、非常に映画的な、一画面内に複雑な要素を組み込んだ、高度な構築性を見ることもできるんです。
ここで考えてみたいのが再帰性の問題です。リフレクシヴィティ、反省性とも言われますが、川瀬さんの作品では、複数の位相で「省みる」ことがおこなわれていますね。『ザフィマニリスタイルのゆくえ』は特にそういう要素が強くて、冒頭に特別展の展示風景を挿入したり、過去に撮影された村の映像を同じ村の人たちが見るといった再帰的な表現が意図的に組み込まれています。
川瀬:再帰性は社会学等でよく使われていた言葉ですね。「省察」という態度にも近いかもしれません。つまり、現実や真実というものが自明の理として我々の目の前に存在しているのではなく、なんらかの意志にもとづいて構築されていると考える。対象をまなざす人の立場やアプローチによって全然違った対象の構築のされ方があり得るということを提示する。最近の映像人類学は、こうした「省察」モードを重要なキーワードとして掲げています。異文化の表象がどのように構築されるのか、その過程を撮る側だけが考えるのではなく、現地の人たちと共に考えようということですね。
民族誌映画にもいろんなモードがあります。例えば撮影者が透明人間になって、咳やくしゃみもこらえて観察する「観察」モード。あるいは、20世紀の中盤ぐらいまでは学術的なモードとしてもっとも重宝された「解説」モード。国立民族学博物館にある多くの映像作品のうち、おそらく大多数がこれですよね。異文化について講義をするニュートラルなナレーションに、写真や動画、地図等をペタペタと貼り付けていく。解説モードにおいてもっとも重要なのは解説のナレーションで、映像はその音声に従属する資料という扱いです。
他にも、マイケル・ムーアのようにマイクを持ってどんどん撮影対象に介入して、時と場合によっては、撮影相手を挑発して、観客もその場にひきこむような「参加型」モードとか、時間や空間の連続性をあえて大きく遮断することによって、ある種の感覚的な世界に訴えかける「詩的」モード、制作者の主観、感情を意識的に前景化させて押し出す「パフォーマティヴ」モードなど、様々な撮り方があります。
民族誌映画ではかつて、「観察」モードと「解説」モードが王道で、それが望ましい学術映像の姿とされた。いまは携帯電話で映画を撮ることもあるし、一眼レフでも撮るし、ビデオカメラも使う。むしろ映画祭に「解説」モードの作品を出しても、おそらく一次審査も通りません。「パフォーマティブ」モードで、作り手のパーソナルな語りをナレーションと位置づけるようなものは好まれるけれど、業者にお金を払って後から取ってつけたようなある種、「神の声」のような、無機的なナレーションを基軸に据える映像は民族誌映画の論壇では忌避される傾向にある。今後どうなっていくかは分かりませんが、ここ数年の審査の状況を見ていても、確実にトレンドはあります。

ツアーガイドという存在

佐々木:『ザフィマニリスタイルのゆくえ』は典型的な「省察」モードの作品だと思いますが、とりわけ重要なのは、川瀬さんが「ツアーガイド」という存在に光を当てていることです。ツアーガイドは観光客に「見せたい」風景を自覚的に選択して、それを効果的に見せるためのパフォーマンスをしているわけですが、それに対して映像人類学やドキュメンタリーの作り手も、作品の観客に「見せたい」風景を撮ろうという欲望を持ってカメラを回す。『ザフィマニリスタイルのゆくえ』の作中、スマホで撮影をしている観光客の後ろ姿を捉えたショットは、そうした風景をめぐる熾烈な争い自体をさらに一歩引いた視点から撮ろうとしたものではないでしょうか。
川瀬:風景の重層性を浮かび上がらせる意図についてはおっしゃる通りで、非常に重要なポイントを突いていただいてありがたいのですが、本当のことを言うと僕は、ツアーガイドの彼だけを撮りたかった。ファブリースという青年で、彼だけの映画を撮りたいという気持ちがありました。ザフィマニリの家は確かにすごく素敵だし、幾何学模様にも魅了されたけど、僕はこれまで強烈な個性を持つ個人、あるいは人間の持つどうしようもない業のようなものに魅了されてきました。対象と共犯関係を結ぶ、あるいは対象に突き動かされる、彼ら、彼女たちの世界巻き込まれることによって映像を撮ってきた。それがエチオピアで培った僕の映像の語法です。マダガスカルで僕が、撮影対象として強く惹かれたのはこの青年だった。彼はいわゆる‟ワル”、したたかな人間、狡猾な人間。でも実際に彼だけを撮ることは出来ませんでした。スケジュール的にも、ザフィマニリの人たちの生活文化を記録して、映像を展示してという職場のミッションにも合わない。
佐々木:そこに川瀬さんの作家性と研究上の立場との葛藤があったということですね。
川瀬:そうですね。民族誌映画はやっぱり、文化人類学が背負ってきた「文化の記録」という大義名分と同時に「映像表現」、両方の営みの葛藤から産まれる。記録と表現って言葉で片づけちゃうと簡単ですけど、それはもう水と油ですよ。文化の記録の蓄積という冷徹な行為と表現者の欲望の間で、体を引き裂かれるような苦しみもあるんですけど、その葛藤が強ければ強いほど、作品としても深みが増すのではないか。水と油が混ざらないことを知りながらも混ぜていく行為、記録と表現のどちらにも転ばない綱渡りが、民族誌映画の制作だと思っています。
来場者:記録と表現の間でという話はすごく納得がいくのですが、川瀬さんはそういった作品を誰に向けてつくっておられるのでしょうか。
川瀬:僕は誰にでも見てほしいと思います。職業柄、やっぱり民族誌映画祭という特定の議論のフォーラムに作品を出すことが中心になってしまいますが、人類学者だけを対象にして映画をつくるようなことはしたくないです。

風景とセンサリーメディア

佐々木:最後に、この連続講座シリーズのテーマであり、僕自身の制作・研究テーマである「風景」についても伺いたいと思います。映像人類学という分野において、風景の問題はどのように捉えられているのでしょうか。また、川瀬さんご自身は風景に関してどのような問題意識をお持ちでしょうか。
川瀬:この10年ほどを振り返ると、映像人類学でも風景に関する議論はどんどん重要になってきています。風景は誰にとっても同じようなものとして存在するのではなく、特定の個人や集団によって異なる意味づけや活用のされ方をするということですよね。
加えて風景は固定した現象ではなく、「私」という主体に積極的に働きかけて、その主体を変容させていくものでもある。そのような認識に立って、風景を「見る」だけじゃなくて「感じる」「におう」「触れる」といった感覚的な世界にも注目が集まっています。僕が前に在籍していたマンチェスター大学や講義を行ったベルリン自由大学では、2007〜2008年ぐらいから「センサリーメディア」(sensory media)という新しい表現の形式がカリキュラムの中に取り入れられました。人の心のあり方によって景色がいかに変わっていくか、風景がどのように生成していくかを問い、それをテクストで表現するだけじゃなくて、ビデオ・インスタレーションやサウンド・インスタレーション、研究者自身が身ぶり手ぶりでおこなうパフォーマンス、あるいは人の心象を基軸にしたマッピングなど、様々なメディアの形式や方法を相互参照的に組み合わせてプレゼンをおこなう。マンチェスター大学の映像人類学の修士課程の発表では、映画を制作した学生はキャンパス内のオーディトリアムで二日間の上映会をおこない、センサリーメディアを選択した学生は1週間ほど、市内あるいは大学内のギャラリーを借りてインスタレーション作品を発表する。このように、映画というよりも、センサリーメディアという窓口から風景に関する議論が盛り上がっている。
最近見た中ですごく印象的だったのは、マンチェスター大学の修士課程の学生スーザン・バターワースが制作した『ブラックストーン・エッジ』(2010年)という16分のインスタレーション作品です。ブラックストーン・エッジはイギリス南部にあるのどかな丘ですが、そこを訪れる人や団体によってまったく異なる意味が与えられる。例えば白いローブをまとったジンバブエの人たちが20人ぐらい、いきなり丘にやって来て儀礼を始める。祈りの対象として丘を異化してしまう。そうかと思えば、イギリス人の老夫婦がサイクリングを楽しんだり、レジャーの場所として使われる。あるいはガーナの人たちがキリスト教の賛美歌を歌って祈りを捧げる。人や団体、コミュニティーによって、一つの風景が全然違う受け取り方、読み取り方をされることを描いた素晴らしい卒業制作作品で、世界中で上映されていました。
僕の作品で言えば、『ラリベロッチ』における声。ラリベロッチが単に歌うだけじゃなくて、その声を通して空間を異化し、まったく異なる風景へと読みかえていく。こちらが動けなくなってしまうぐらいの風景の異化、その圧倒的な支配力に踏み込みたかった。
映像人類学の地殻変動。それは視覚偏重型の学問のあり方に対する反省。「映像」と付いているぐらいだから、やっぱり視覚が感覚の王様に位置づけられてしまう。でも僕らだってふだん見ることだけで生活しているわけじゃない。においを嗅ぐし、温度を感じるし、触れて感じるし、味覚もあるし、聴く。様々な感覚のからみあい、つながりの中で生活をしている。このような認識論的な反省をふまえて、センサリーメディアという表現手法が活発化している。センサリーメディアは必然的に、アートの語法を学ぶ必要性がある。コンテンポラリーアートの世界と人類学の交流が盛んになってきている状況ですね。

「speak about」と「speak along」

来場者:佐々木さんにも聞いてみたいのですが、一つ目は、佐々木さんはご自身を作家と考えているのか、それとも研究者と考えているのか。もう一つは、佐々木さんと川瀬さんの立ち位置の違いはどの辺りにあるのかを知りたいなと思います。
佐々木:基本的には映像作家、映画作家と自己規定しています。ただし、映画の現状の表現形式を偏愛するというよりは、映画の駄目なところを見ようとしてきたんですね。映画の限界や偏向性を洗い出し、それを克服するための方法論を考える。センサリーメディアのように映画以外のメディアから考える方法もありますが、自分の場合は映画という枠組を内側から拡げていく道を選びました。
とは言え、もちろん映画のことしか考えていないではなくて、研究論文を書いたほうが面白いのではないか、インスタレーションのほうが上手く対象を捉えられるのではないかといったことは常々考えます。そういった異種格闘技的観点を持ち込みつつ、それでもなお映画に出来ることがあるのかを問い、思考を鍛えていきたい。映像人類学に興味を持ったのもこうした理由からです。
もう一つ補足すると、僕はマヤ・デレンという映画作家に大きな影響を受けました。彼女は実験映画の母的存在であると同時に、ドキュメンタリーや映像人類学の先駆的存在でもある。まだジャンル毎の棲み分けが為されていない時期に、後の様々な映像表現を生み出す爆心地になったような人物です。僕はデレンを実験映画の文脈から知り、多くを学びましたが、それとは別の方向に伸びていった可能性の一つとして、映像人類学の世界を知りたいと思いました。
川瀬:僕はこれから、人類学者には「僕は映像作家です。人類学は勉強不足です」と謝って、映画監督たちには「すいません、僕は人類学の研究者なので映画は勉強不足です」と謝ることに決めました。
佐々木:いま決めたんですか(笑)。
川瀬:いま思いついた。そうやって両方学び続けます。その場その場で場面対応的に、まるでラリベロッチの歌詞のように。
佐々木:なるほど。カメラを回す作家の傾向として、受動性に積極的な意味を持たせるところがあると思うんですよね。僕自身もそうですし、川瀬さんもそうなのだと思います。自分が撮ることで何かを表現したいというよりも、撮ることによって自分自身が変えられたい、何か別のものになりたいという欲望で動き回っている。
川瀬:それは強みですね。特に今の世代、2000年以降のデジタルエイジの映像人類学者の強い傾向としてあります。では20世紀はどうだったかというと、論文を書いて、その論文に当てはめるようなかたちで映像を構築していく感じ。でもいまは自分の身体というメディウムを特定の社会に放り投げることによって、その社会に巻き込まれ、突き動かされることによって自らが変成していく。その過程こそが作品だという作家がたくさん出てきていますよね。
佐々木:先ほど記録と表現は水と油だというお話がありましたが、自分が変容する過程というのは、自ら危険に身を晒すことでもありますよね。擦り合わせる、折衷するというよりは、ぶつけ合う、衝突させる、というような。
川瀬:そうですね。それでも僕はトランスフォーマブルな主体としてありたいと思っています。最新の人類学理論や概念を振りかざして、そこに現地の社会をパズルのように当てはめるのではなくて、むしろ現地の話法に寄り添うようなかたちで語り続けたい。映像人類学では「speak about」と「speak along」という言葉がよく使われます。前者は、ある現地の社会について教示する、解説するという意味。けれども僕らのこの時代が目指しているのは、現地の社会、対象の人々と共に語る「speak along」ではないか。もしかしたらはっきりとした答えは出てこないかもしれないけれど。映像が喚起する、あるいは映像を介してなされる、終わりなきコミュニケーション。この果てしない旅のなかに、やっぱり答えがあるんじゃないかと思います。
佐々木:なるほど、ありがとうございます。ちょうど時間も来ましたので、この辺りで今日の講座を終わりたいと思います。川瀬さん、そして来場者の皆様、今日は長時間ありがとうございました。
川瀬:ありがとうございました。