原將人×MAORI×比嘉賢多 トーク採録「光と音で呼吸する」

原將人×MAORI×比嘉賢多 トーク採録「光と音で呼吸する」

企画名:風景/映画再考VOL.1「日本の起源をたどる映画の旅」
日時:2016年10月15日(土)
上映作品:『MI・TA・RI!』
ゲスト:原將人(WEBTwitterFacebook)、MAORI、比嘉賢多(WEBTwitter
企画・進行:佐々木友輔

イントロダクション

原:これから『MI・TA・RI!』のライブを始めます。デジタルがセンターを担って、左右を8ミリが担う三面マルチの映画です。こういう上映になじみのない方に説明をしておくと、実は三つの画面は同期していないんですよね。それぞれ別々に動いています。こうした重層した空間をつくる意味は、これからライブをご覧いただければわかると思います。本当に熱い空間です。また奇妙なもので、デジタルの素材がかなり劣化していまして、それに対して8ミリはすごくきれいなんです。今見てみると、その違いも含めておもしろいと思います。
本作の映像素材は17年前の1999年に撮影したもので、国旗・国歌法案が成立した年でした。これはいかん、今さら「君が代」でも「日の丸」でもないだろうと。ちょうど私がMAORIと結婚して、子供がその年の三月に生まれたというタイミングで法案の話が出てきたこともあって、これからの日本はどうなるんだろうと考えて急遽この作品をつくったという経緯があります。先ほどリハをやってみて、あらためて、この問題は17年が経った今も日本がずっと引きずっている問題だと感じました。去年は安保法制が成立しましたし、いよいよ日本がどうしたいのか、我々はどうしようかということをしっかりと考えなければならなくなっている。『MI・TA・RI!』についても、機会があれば今後も上映し続けるだけの価値があると思いました。
あっ、それと、もう一つ『MI・TA・RI!』に関して付け加えて言っておきたいことがあって、今日見ていただく完成形ができたのが2002年の一月、フランクフルト映画祭だったんですけど、ちょうどドイツに着いた日に、通貨がマルクからユーロに切り替わったんですね。街の小さなスーパーというかよろず屋さんみたいなところで買い物したんですけど、レジがまだユーロに対応してなくて、マルクからユーロに換算するのに時間がかかって、レジ待ちの行列がちっとも進まない。でも、みんなすごく楽しそうで晴れやかな顔をしていて、それは、ドイツがナチスの記憶を引き受けるかたちで主導して、ユーロが成立していったということがあるからで、日本も、中国や韓国に対して、へいこらもう賠償したとか、しないとかいう話でなくて、アジアに共通の通貨を作るという構想のもとに戦争責任を考えていく、中国や韓国と一緒にそれを考えていく、そのなかで戦争責任も賠償も引き受けるということがあれば、すごくよかったのにと思ったのです。それもあって、なおさら今さら「君が代」「日の丸」でもないだろうということなのです。
ちょっと長くなりましたけど、上映スタートします。


(作品上映)

音楽を探す旅

原:見ていただいてどうもありがとうございました。十何年ぶりのライブだったのでどうなることかと思いましたが(笑)。ライブだからナレーションに今の話も加えて、ボブ・ディランがノーベル賞をとった話を入れてみたりもしました。『MI・TA・RI!』でやろうとしたのは、やっぱり音楽の話なんですよね。「君が代」を日本の国歌にして良いかどうかを検討するところから入っていったんです。
日本の音楽は何か独自なもので、作中でも言っているように、西洋音楽の平均律的な意味で交換可能なものではなかったんですよね。三味線音楽の譜面などはあることはありますが、他の音楽と交流できないものだった。それが明治になって、西洋音楽と出会ったことから五線譜ができて、和声なんかも取り入れて交換可能なものになっていったんです。西洋音楽といってもそんなに古くはなくて、バッハの頃にようやく平均律ができて、音譜を書いて、平均律につける和声がいっぱいできていく。ジャズなんかはそうですよね。複雑なコード進行の中でたくさん和声をつくって、それを微妙につなげて、12音だけでは表現できない音を全部表現可能なものにしていくんです。また、民族音楽の歌なんかには本当に12音だけでは表現できないものもあるんですが、そういうのをアカペラらで聞くと、それが、12音階では表現できないということが際立って、本当にそれが貴重なものだということがわかる。そういうことも含めて、平均律が成立してからの音楽は本当に地球における唯一の共通通貨みたいな感じがして、その話をやりたかったというのが、この映画のそもそものモチーフです。
「君が代」の問題に戻ると、僕は「君が代」を日本の国歌にするべきかどうかは国民投票にかけるべきだと考えた。そして国民投票をするんだったら憲法九条もありますし、「イマジン」を日本の国歌にするという案があったら素敵だなと思ったんですよ。でもジョン・レノンはもう死んじゃって居ないから、オノ・ヨーコさんに手紙を書いてみようと。国会審議中にオノ・ヨーコさんが「イマジン」を国歌にしても良いですよっていうニュースが流れたらおもしろいなと思ったんですね。それで実際に手紙を書いたら、「「イマジン」は世界の賛美歌、地球の賛美歌なんで、ただ日本の国歌にしてしまうのはちょっと違うんじゃないかと私は思います」という返事が来ました。その後、2001年の9.11で本当に「イマジン」が地球の賛美歌として鳴り響いたので、オノ・ヨーコさんがその時考えていたのはこういうことだったのかと思いましたけどね。
そうやって音楽を検証して歩く中で、沖縄へ行って自分がどうなっていくかを探ることが一つのドラマになっているんですよね。生まれて半年の子どもを連れて行ったから、熱中症みたいになっちゃって大変だったんですけど。今見ると沖縄では寝てばっかりいるんで、やっぱりしんどかったのかなと思うけどね。
佐々木:映像だけではなく音楽も、国旗・国歌法案をきっかけとする旅の中でできた歌だけを使っているんですか?
原:そうです、旅の中でつくった音楽だけです。
佐々木:現地で聞いた音や音楽を録音してそのまま流すのではなく、いったん自分というフィルターを通して「語り」や「歌」に変換した上で作品に反映させるスタイルも最初から決まっていたのでしょうか。
原:僕にとって音楽とはそういうものなんですよ。自分の肉体というか身体を通して再現されて出てくるものが音楽なんですよね。

二人で撮ること

佐々木: MAORIさんにもお話を伺いたいのですが、『MI・TA・RI!』の制作にはどのようなかたちで関わることになったのでしょうか。
MAORI:原監督との出逢いは、某映画祭でした。当時、原監督は『20世紀ノスタルジア』という作品で参加されていて、私は、脚本家の荒井晴彦さんが初監督された『身も心も』という作品に、ボランティアスタッフとして参加させていただいていたので、「荒井組」のスタッフとして、映画祭に参加していました。原監督と荒井監督はとても仲がよくて、一緒にお酒を飲んでいるところに、私も呼んでいただいて、混ぜていただきまして、澤井信一郎監督もいたりして盛り上がっていたのですが、その席で、原監督が新作を準備されているという話をされていたので、すかさず、何か、私にお手伝いができることがあれば、連絡をください!と、名刺を差し上げました。映画祭も終わり、しばらくした頃、ある日突然、原監督から、自宅にお電話をいただきまして。家族一同、映画監督から電話があったので、ビックリしたのですが、その後、またしばらくして『百代の過客』という、恐ろしく長い原監督作品と、当時、監督がハマっていらした、ヨーグルトきのこの素のケフィアちゃんが、自宅に郵送されてきました。で、「何かビデオレターを送ってよこすように」。また、「いくつか俳句をつくって欲しい」という手紙が添えられていましたので、『My 3rd eye』というよくわからない作品をサクサクつくって、テキトーな俳句を5・7・5で詠みまして、送って差し上げたら、「ビデオレターは、こんなのじゃダメだ!」みたいなことを言われたので、???と、なりまして、どうすればいいのか、わからなくなっていたところに、荒井監督から、お手紙をいただき、「飄々とした、原の生き方に学ぶがよい」みたいなことが綴られていて、監督直々のお便りだったので、そうも無下にしてはいけないと。そこで、原監督と向き合ってみようと決心をしました。
……荒井組の作品は、予算を抑えるために、民家を借りて、そこに俳優部以外のオールスタッフが寝泊まりするという、合宿形式で制作されたのですが、私は、そのスタッフルームで、もう一人の女の子と、炊事班を担当しました。誰よりも早く起きて、スタッフの朝食をつくって、買い出しをして、昼夜ロケ先にケータリングを届けて、夜食を作って後片付けをして。二週間ほどのロケの間、ずっと、メチャメチャハードで、とにかく、休む間も無く、めいっぱい現場を走り回りました。いつしか、ほとんど寝ていなくて、クタクタなのに、力がみなぎっている!という、楽しくてたまらなくなる貴重な経験をしまして、きっと、多分、映画の神様みたいな何かが、力を引き出してくれていたんですね。『バトル・ロワイヤル』で監督デビューした深作健太君が、演出部のサードで入っていたり、やっぱり映画監督になった大森立嗣さんも、同じ演出部に入ってました。楽しい現場でした。
……話が外れてしまいましたが、原監督が、東京の、たぶん、東中野から、京都に移り住まれた頃、私は、また映画のお仕事をしたい!という気持ちが高まっていて、とにかく、原監督の世界に飛び込んでみようと、飛び込んでみた。というのがキッカケでしょうか。その流れで、『MI・TA・RI!』が生まれたのだの思います。荒井組での、個性的な映画人の中でもまれていた経験もあったので、なんとかなるだろうと。それからは、原ワールドにどっぷり浸かってみました。『MI・TA・RI!』のメインロケ地となった沖縄では特にでしたが、旅の間は、監督に振り回されっぱなしでしたね。
比嘉:MAORIさんは以前、沖縄で暮らしていたとお聞きしましたが、沖縄にルーツがあるんですか?
MAORI:南方系の顔なのですが、ルーツがあるのかは、よくわかりません。代々、ヤマトの山奥の小さな神社を細々と守ってきた家系ですが、どうでしょうか。沖縄には、以前、移り住んで二年ほど暮らしていた時期があります。私は団塊ジュニアと呼ばれる世代なんですけど、生きるのが、けっこうきつかったんですよね。受験戦争とか、すごく競争の激しい時代を生きてきて、四谷大塚の全国模試で、一ケタとったこともあるくらい、IQも高くて賢かったのですが、両親が敷いたレールからドロップアウトしたくて、したくて、たまらなかった。当時、若かった私は、強烈に、小説家になりたかったので、何が平凡なのかはわかりませんが、とにかく平凡な人生を歩んではいけないと、勝手に思い込んでいて、どうにかして、退屈な人生から脱出しようと、その方法ばかり、毎日、バカみたいにそればかり、考えていた時期がありました。本を読むのが大好きだったのですが、ある日突然、読むほうではなく、書くほうに回らなければ!と。本を閉じよう!と、勝手に決めてしまって。でも、結局、代わり映えしない日々は続きますよね。本当に自分がすり切れそうになってしまい、ダメになる感じがして、もう、こうなっちゃったら、トニカク行動しなければ!と、脱出計画を企てなければ!と。それでもう一度日本を俯瞰から見てみたい、それこそ再考したいという気持ちで沖縄に渡ったんです。本当は、海外へ出たかったのですが、両親に懇願されて、国内限定だったので、沖縄へ。その、沖縄での経験で、私は魂を復活できたと思います。
比嘉:マブイを。
MAORI:そうですね。ゆったりしすぎていて、生ぬるい沖縄の空気の中で、ものすごく混沌とした生活を送ったんですけれども、そこで、確かに、何かを吸収した。あの頃はちょうど、ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』を愛読していて、不思議体験じゃないですけど、ある瞬間、マブイというか、自分の魂を取り戻せたような気がしまして、そろそろいいかなー、という気分になってきて。内地に帰って、家族に再会すると、自分の魂が戻ってきたことをちゃんと確認することができました。私の場合、結局、自分自身の中に、魂があることを感じる感性を取り戻すことができたような気がします。すごく冷めていた心に、感情が、沸いた。その、きっかけをくれた、羽を休める時間をくれたのが、沖縄で、きっと、沖縄の持つ、てーげーさですね。力を抜いて、ゆだねてみるような、がんばりすぎない感覚で、素になると降りてくる、もっと神聖で美しい何か。マクロな、宇宙的感情とのリンク。今回の、『MI・TA・RI!』の撮影では、自分の目で見た、リアルな地球での、とある記録を残そうという、気持ちでカメラを回しました。
佐々木:旅の中で役割分担はありましたか? それともお互いがカメラを持って好きに撮影するというかたちだったのでしょうか。
MAORI:例えば集合写真や記念撮影の時は、「それではこれを撮ってください」って指示を受けて写真を撮るんだと思うんですよね。でも、もっと日常的な場面で写真を撮りたい瞬間ってあるじゃないですか。例えばおいしそうな食事を見てカシャっと。『MI・TA・RI!』の撮影もそんな感じでした。生活の中に自然とカメラがあって、音楽が生まれて、撮影が生まれてっていう空間の中に居たという気がします。
佐々木:なるほど。やっぱり『MI・TA・RI!』の面白さは二人で撮影をしていることにあると思うんです。原さんのロードムービー的な作品制作は『初国知所之天皇』が最初だと思いますが、そこではひたすら一人旅が続いて、最初から最後まで個の視点が貫き通されるような印象が強かった。しかしその後、『百代の過客』ではお子さんとの二人旅になって視点が二重化する。あるいは『20世紀ノスタルジア』でも、男の子と女の子がそれぞれカメラを持って互いを撮り合うシーンが登場します。このように『初国知所之天皇』以降の作品では「二人で撮ること」が重要な要素になっていると感じるのですが、その辺りは『MI・TA・RI!』でも意識されていましたか?
原:そうですね。結局一人で撮ると、自分を撮る時に自撮りしかできないから(笑)。あとは見た目ショットでしか撮れないのでね。『初国』の時はずっと自撮りでやってたんですけどね。自撮りと言っても8ミリだからね。モニターで確認しながら撮るわけにいかないから、レンズ面の反射を見ながら手に覚えさすんですよ。カメラを握りしめた手が撮るんです。昔はこうした撮り方を「原ショット」と言われてましたよ。

映画として生きること

佐々木:上映形式についてもお聞きしたいと思います。二台の8ミリフィルム映写機と一台のビデオ・プロジェクターを使用して、生で歌と語りが入るライブ上映に行き着いたのにはどのような経緯があるのでしょうか。
原:僕は自分で見るために映画つくるんですけども、見たい映画のイメージの断片が浮かんでくると、それをつなげていく。またそれを日常のなかで撮ってみる。撮ったものを見ると、どうも違うということもあれば、とんでもなくいい瞬間があったりして、それが脳内上映されて膨らんでいく。だから一応編集して完成した後も、完全に手を離れちゃうのも嫌なんですよね。嫌というか、何か違う感じがしちゃうんです。どうせ自分で上映するんだから、何かいつも同じものじゃ飽きちゃうし、つまらない。映画は編集をしている時が本当は楽しいんですよね。だからライブ上映は、常に編集をするかたちになっているのが良いんです。特に時間軸が同期しない8ミリのマルチだと、いつも発見がある。
佐々木:上映中も編集を続けて、まさに今できあがりつつある映画を自分自身で見ているということですね。
原:ええ、そうなんです。
佐々木:三台同時に映写して、歌も語りもあるというのは膨大な作業量だと思いますが、飽和しそうなぐらいの状態に自分を追い込んで上映をおこなうのが理想なんでしょうか。
原:一回、ゆっくり見たいけどね(笑)。
MAORI:タイムラインが一つじゃないから。……映写スピードの違う二台の8ミリフィルム映写機と、センターのビデオプロジェクターの映像と、最大三つのタイムラインが同時上映されます。ですので、何度見ても印象が違います。もちろん、二度と同じ上映はできません。何か非日常的に覚醒してくる感じがあります。私は8ミリフィルムで撮影をしましたが、編集や映写にはノータッチでしたので、どうしたらこんなふうに編集できるのかはわからないですね。見た時には、8ミリの編集パートは、いつでも完璧に出来上がっているのです。
原:もう行き当たりばったりですよね。それぞれの映写機の速度が違うから、本当は合うべきところで合わなかったりしますし、基本は一回限りのものです。でも僕たちの頭の中の記憶自体が、この映画のように重なり合ってできているんじゃないかと思うんですよね。だから、見ていると自分の中の映像がたくさん浮かんでくるのではないかと。実際、すごく懐かしい気持ちになったという人もけっこういます。そんなふうに、自分の中にある記憶を引き出す映画があっても良いんじゃないかなと思うんですよね。
一つの画面だけを見せられてそのラインを解釈していくのは、言語による思考に近いわけですよね。でも私たちの脳の中ではいろんな記憶が重なっていて、あっちに行ったりこっちに行ったりしている。例えば眠っていて夢を見る時なんてそうじゃないかと思うんですよね。
佐々木:原さんのテキストの中で、夢を見る時、主観ショットのように自分の見ている景色として夢の世界を体験するのではなくて、別のところからカメラが回っていて客観的に自分の姿が見えているという話があった覚えがあります(※未刊行の論考「マテリアル&メモリーズ〜ベルクソンから映画を読み解く〜」。ただし正確には、原氏は「夢」ではなく「記憶」について論じている。該当箇所は佐々木敦『批評時空間』新潮社、2012年の文中に引用されている)。また別のところでは、原さんは、自分自身が「映画になること」、「私の肉体が滅びれば私の映画も死ぬ」ということを仰っていると知ったのですが(金子遊編著『フィルムメーカーズ 個人映画のつくり方』アーツアンドクラフツ、2011年)、三人称の夢は、まさに自分の見ている世界がまるで映画のように体験されていることを示していると思ったんです。私自身は三人称の夢は見ないので……(笑)。
原:やっぱり夢の中でも一人称だけとは言えないんじゃないかなと思うんだけどな。
佐々木:人が映画として生きるというのは、ただ聞くだけではイメージしづらいところがあったのですが、今日こうしてライブ上映を体験してみると、その言葉の意味がすとんと腑に落ちた感じがしました。最近の映画館ではライブ性が求められたりもしますが、基本的には完璧にパッケージングされたものが求められますよね。きっちり時間通りに映写がスタートしなければならないし、ノイズが入ったり映像が止まったりしたらクレームが入る。少しでもアクシデントがあると商品として失格になってしまいます。それに対して、『MI・TA・RI!』のライブを見ることは、普段は意識することのない上映の舞台裏を覗いて「映画ってこんなにもフラジャイルなのか!」と気づく体験でした。映写をおこなう原監督とMAORIさんのみならず、ビデオデッキやフィルム映写機といった諸々の装置が一体となって、一つの映画として懸命に生命を維持しようとしている。映画がフィルムの終わりまで何とか生きようと努力している姿がさらけ出されているように感じて、映画として生きるとはこういうことかと、すごく納得がいったんです。

映画は目で見る音楽

佐々木:このあたりで、比嘉さんにも今日の上映のご感想を伺いたいと思います。
比嘉:ライブ上映を見たのはこれが初めてです。先ほど佐々木さんが「映画として生きる」と仰いましたが、まさにそういう「生もの」の映画体験に感動しました。それから、やっぱり音楽に対するこだわりを感じました。マルチスクリーンの映像が重なり合っていますよね。例えば真ん中の映像が途切れたら、左右の8ミリ映写機を動かして中心で映像を重ね合わせるとか、ここは何秒でここは短くといった編集のカットの強弱とか。そういう行為も、ライブの中で次の曲に合わせてチューニングを変える演奏行為に見えるというか、そこに音楽性を見出さずにはいられないという感じがしました。原さんは映像と音楽の関係をどのようにお考えですか? 映像と音楽はどちらが先行しているのか。あるいは追いかけ合いなのか……。
原:全部、自分の中の身体性の問題だからね。やっぱり自分の中に音楽があるわけですよ。心臓の鼓動から始まって、血流とか、呼吸だって一つのリズムです。身体はそういう楽器みたいな要素がありますよね。だから、映像と音楽のどっちがどっちということは言えないけれど、やっぱり一つの身体によって時間を統合していくことが音楽だと思うんですよね。映画は目で見る音楽だと思っていますし、すべてのもの、時間そのものが音楽性を持っているんだと思います。
比嘉:8ミリで撮った映像にはスローモーションをかけているんですか?
原:全部スローモーションをかけています。
比嘉:同じ時代の映像でありながら、時間の流れが違う二つの眼が共生している感じがすごく良かったです。8ミリを回す時とデジタルで撮る時とでは違いがありますか?
原:ああ、8ミリはありますね。やっぱり8ミリで回すと違いますよね。回す瞬間はカメラをホールドしてなきゃいけないから、やっぱり呼吸と関係がある。自分の中の循環器系と関係があるんですよね。
MAORI:8ミリカメラで撮影するのはすごく興奮しますね。小さいけれど、フィルム様が回っておられる!みたいな感じになっちゃう(笑)。
比嘉:運動をじかに感じるというか。
MAORI:そうですね。カラカラカラッとフィルムが回る音がして、その振動が、カメラを持つ手に伝わります。
比嘉:テントの中で原さんが「おはよう」と言いながらMAORIさんを撮っているショットが印象に残っています。デジタルだとRECボタンを押して撮りっぱなしにできますが、フィルムはそれ以上に大事に撮る感じ、緊張感を伴ってカメラを回してる感じがありますよね。
原:そうだね。やっぱり僕は8ミリが好きなんで、デジタルで撮るのは何かちょっと違うなと感じることが多かったんだけど、実はiPhoneで撮るのはけっこうフィルムと近い感じするんだよね。なぜだろう、軽いからかな。軽いから逆に、それをホールドするのにすごく身体的なものを感じるからかもしれないね。
佐々木:面白いですね。最長六秒間、ボタンを押している間だけ撮影ができるVineというiPhoneアプリがあるのですが(2017年1月にサービス終了)、それを使ってみた時は確かにフィルムっぽさを感じました。実際に作品に使うためにiPhoneで撮ることもあるんですか?
原:けっこうありますよ。iPhoneに自撮り棒を取り付けてローアングルにすると、なかなか良い絵が撮れますね。ズームとかはできないけどね。

風景に抗う身体

比嘉:もう一つ質問しても良いですか。『初国知所之天皇』の旅は鹿児島で終わっていますが、『MI・TA・RI!』で沖縄に南下したのには何か理由がありますか?
原:『初国知所之天皇』の時は、どこでこの映画を終われるかなと思いながら旅を続けていて、本当は鹿児島で終われなかったら沖縄にも行こうと思っていたんです。あの時は1972年の……。
MAORI:沖縄が返還された後で。
原:そう。返還後だから行こうと思えば行けたんだよね。だけど鹿児島で、自殺した女の子のフィルムを見るということがあって、これで終われたなと思ったんですよね。
比嘉:なるほど。『MI・TA・RI!』では最初から沖縄をゴールと決めていたんですか?
原:決めてなかったね。
比嘉:やっぱりそうなんですね。例えば写真家の東松照明とか、日本の音楽の原初的なものを発見するために宮古島に渡って「神歌」を録音した『スケッチ・オブ・ミャーク』(大西功一、2011年)とか、その他様々な民俗学の言説とか、何かを発見したいという欲望を持って沖縄を訪れ、さらに南方に移動していくという系譜があると思うんです。けれども『MI・TA・RI!』の場合は、単純に民謡や神歌を求めて沖縄を旅したというわけでもなさそうで、それが非常に新鮮でした。映画をつくる上でゴールを決めないというか、ある意味では旅の中でゴールと出会うというか。
それから、佐々木さんの映画もそうですけど、何か非常に身体に近い映像という感じがしたんです。沖縄の風景というと、まずはフレーミングの問題があると思うんですね。90年代以降に、NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」や中江裕司さんが観光地や南国のイメージ、もっと言えば「優しいおじいやおばあが居る」みたいなイメージを発信して、それが僕自身も含めた沖縄の若者の意識を形成してきた。やっぱり人はメディアの風景の中に居て、その表象が与える影響は大きいんだと思います。沖縄の人は「大和」「内地」「本土」という呼び方をしますけど、そこに行った時、表象されている沖縄像に合わせて振る舞ってしまうことがある。沖縄らしいものを求められて島唄や民謡を歌ったり、過剰に明るく振る舞ってしまうことがあって、それを僕は沖縄の映画を撮ることで解体していきたいというか、もっと無理せず自分らしく生きたいという気持ちがあったわけです。そういう意味でお二人の作品には、過剰にフレーミングされた沖縄の風景に対して自分の身体を使って向き合う姿勢が感じられて、僕自身もそれを実践していきたいと思ったんです。
佐々木:身体の重要性はその「要約しがたさ」にあると思うんですね。それゆえマジックワード的に使われることも多いですが、レッテル貼りを拒み、言葉で語り尽くそうとする欲望からどんどん逸脱していくのが身体の特質だと思います。そういう身体の過剰さを映画に持ち込むことで「沖縄らしい風景」や「日本らしい風景」といった単純化したイメージを突破しようとしている点で、たしかに『MI・TA・RI!』と比嘉さんの作品は共通していると感じました。

先入観と疲労(チルダイ)

比嘉:映像で見る沖縄の印象と、実際にその場所に行った時の感覚はやっぱり全然違うと思うんです。『MI・TA・RI!』のナレーションでもありましたが、沖縄はただ暑いだけじゃなくて湿度がありますよね。重ったるい空気。写真で見る青空のイメージからカラッとした気候を期待されることもありますが、「湿度は高いし、年間を通して雨が多いですよ」と言ったらがっかりされたりして(笑)。そういう理想と現実のギャップがあると思うんですけど、それが一概に悪いというわけではなくて、僕の映画を内地の人に見せる時には、むしろその落差を感じてもらうことを楽しんでいますね。僕が撮る映画にはちょっと肩透かしな部分があると思うので。沖縄の映画なのに赤花が出てこないとか、きれいな水や海が出てこないとか、あんまり出てる人が優しくないとか(笑)。
佐々木:原さんとMAORIさんは、沖縄で撮影をした時に、先入観として持っていた風景と実際に見た風景の間に何かギャップを感じることはありましたか?
MAORI:沖縄で、マジックアワーの海岸を歩いた時に、景色というか風景の美しさに圧倒されてしまったんですね。それは何か絶対的なもので、どこをどう切り取って良いのか分からないくらい、美しいと感じたことがありました。なので、比嘉さんが、その沖縄の風景をどのように捉えているのかということにもすごく興味がありました。
原:僕はやっぱり音楽にびっくりしましたよね。その当時に本土で流行っているような音楽は一切かかってなかった。流れているのは全部、沖縄の音楽だもんね。
比嘉:民謡が多かったですか。
原:民謡じゃなくて、リズムがきいたポップスでしたね。
比嘉:何が掛かっていたんだろう。戦後のコザではロックが流行ったり、民謡とジャパニーズ・ポップスを融合させたような形式が出てきたりしていたようですが。90年代に入ってからの沖縄の音楽といえば、SPEEDとかアイドルのイメージしかないですけどね。ところで、沖縄には何日ぐらい居たんですか?
原:一ヶ月ぐらい居たかな。そのうち三週間ぐらいはテント生活で。
比嘉:沖縄で身体的に疲弊していくという作品をよく見かけるんです。沖縄語で言えば「チルダイ」。僕自身も『池間アッチャー記』(2016年)という作品を撮っていますが、レンタカーを使えば楽なところをあえて歩くとか、作家が肉体的なぶつかり合いの行為に向かうんですね。眩暈のことを「ミークラガン」っていうんですけど、沖縄という場所には何かマブイが抜ける予感みたいなものがあるというか、そういうことも思ってしまうんです。
それと、これは僕の先入観かもしれないですけど、『初国知所之天皇』が神話を求めて旅をする映画だったこともあって、『MI・TA・RI!』にも何らかの「原初」を求めて南に移動していく意識を読み取ろうとしたんですね。例えば「君が代」に代わるような日本の音楽を探すとか。そういう見方をした時に、原監督とMAORIさんが沖縄でテント生活をするというある意味で原始的な生活をしていたことがおもしろかったんです。しかもそこに、クーラーがきいたモーテルのほうが良かったんじゃないかというようなナレーションが重なって、それも飾ってなくて良いなと思いました。
原:比屋根(ひやね)で見たモーテル群はすごかったね。本当にディズニーランドみたいで、あんなモーテルの立ち並ぶ風景は見たことない。
佐々木:飾らないナレーションといえば、映画の終盤に「そもそも何をしに来たんだろう?」「ぐるぐるしてるだけだ」と呟くショットがありますよね(笑)。僕はあれがすごく好きなんです。当初の目的が失われて旅が終わる。そういう言葉をカットしてしまうのでもなければ劇的に強調するわけでもなく、淡々と景色が移り変わっていく中でふと漏れた一言としてそのまま残してあるのがすごく良いなと思いました。
MAORI:実際には大変な旅でしたけどね(笑)。日常的に原監督を見ていて、歌をつくることや撮影をすることは常に闘いなんだと感じました。

植物が見る風景

原:それと風景を考える上では、人間の中の動物的な部分と植物的な部分について考えても良い気がするんですよね。もしかしたら風景とは、植物が見ているものなんじゃないか。だって風景は「風」の景でしょう。風で木がざわざわって鳴りますよね。そういう時に木々が見たり感じたりしているものが風景じゃないかなと思うんです。
動物と植物は進化の過程のどこかで分岐しただけで、基本的には同じDNAなんだよね。吉本隆明の『心的現象論序説』にも出てくる三木成夫さんという触剖学者が「循環器系は植物に属している」ということを言っていて、ベルグソンも『創造的進化』で同じことを書いています。植物も動物もそれぞれ共通の祖先からできてきて、一つは運動することを選び、もう一つは運動しないで根を生やすことを選んだ。我々の細胞の中のミトコンドリアがそもそも植物だもんね。植物を取り込んで動物は成立しているんだよね。
動物は食物連鎖の系列に属して進化してきたので、食物を探すために視覚は発達してきたわけですよね。植物は実際に視覚があるかどうかはわからないけれど「感じている」ことは確かですよね。光合成をやってるわけだから、本当に体全体で光を感じている。見ているわけですよね。それと同じで、人間にも植物的な部分があるんじゃないかと思うのね。僕たちは風景を撮る時に、決して「ここに食べられるものがあるんじゃないか」と思って見るわけじゃなくて、植物と同じように光を感じて見ているわけです。常に8ミリで撮っているとよくわかるんだけど、シャッター押す時に呼吸をとめるよね。長くカットを回す時は呼吸をしないといけないけれど、瞬間的に回す時は呼吸をとめますよね。ビデオの場合でも、回しっぱなしにしないで何秒間か撮る時には無意識的に呼吸のコントロールをしていると思うんですよ。何回呼吸してから止める、とかね。そういうことを考えると、循環器系の身体は植物と関係していて、風景ともすごく密接な関係を持っている。だから僕は無機的なビルやコンクリートを撮る時に、それだけを撮りたくはなくて、後ろに空とかを入れたくなる。あ、光はまた別なんだよね。夜景だと街の光の点滅がありますから。
佐々木:それこそ足立正生さんや松田政男さんの風景論が典型ですが、映画の撮影を、銃を撃つ行為になぞらえる考え方がありますよね。「ショット」とも言いますし。それは非常に視覚的なものの捉え方で、カメラの目で対象を遠方から捉えて撃ち抜くようなものとして撮影行為が理解されています。けれども今の原さんのお話は、そうした銃撃のモデルとは異なる撮影モデルになりそうな気がします。一点を貫くのではなく、もっと全身で光を受け止める。
原:そう。呼吸をしたりするのに近いのではないかと思うんですよね。
佐々木:風景と植物の関連性については以前から考えていたことなんですか?
原:最近考え始めましたね。
佐々木:なるほど。これは原さんの新たな論考を期待してしまいますね。

質疑応答

佐々木:それでは質疑応答に移りたいと思います。
来場者:『MI・TA・RI!』の冒頭に、古い日本映画のモンタージュがありましたよね。古い映画のスチールが映し出されていて、目の前には映写機もあるし、歌もあるし、楽器もあるしで、やっぱり活動弁士時代の映画形式への言及なのかと思いましたけれど、どのような意図だったのでしょうか。
原:あれはMAORIちゃんが入れたんだよね。
MAORI:活弁時代への言及というよりも、敗戦前の日本映画や愛しい映画人を回顧する意図がありました。この作品ができた経緯として、フランクフルト国際映画祭が立ち上った時、ぜひ、原監督のライブ上映スタイルの映画を上映させてほしい、というオファーが来たんです。海外に持っていくので、作品の背景を説明することも必要だと考えて。作品の前の、序章のようなイメージで作成しました。
来場者:こういうライブ上映の形式は他にもあるんですか?
佐々木:マルチスクリーンでは、例えばアンディ・ウォーホルの『チェルシー・ガールズ』が有名です。また、寺山修司の実験映画『ローラ』では、スクリーンに入れた切れ込みの中に生身の役者が入っていく演出があったり、映画の上映と演劇的なパフォーマンスを組み合わせた例はいろいろとありますね。特に最近は舞台美術の一環として映像を使うのが流行っていますし、プロジェクション・マッピングもかなり知られるようになりました。
けれども僕としては、原さんとMAORIさんの『MI・TA・RI!』のおもしろさは、これは「映画」であるという意識の延長線上でライブ上映をおこなっているところにあると思っています。パフォーマンスやインスタレーションを構成する一端に映像や映画的なものがあるというのではなくて、あくまで「映画をライブで上映する」ことにこだわって長年活動をおこなってきた例はあまり他に思い浮かばない。かなり独自なものではないかと思います。
原:飯村隆彦さんのパフォーマンスはおもしろいですよね。飯村さんが手持ちで映写をするのを見たことがあるけど、かっこ良かった。エリック・クラプトンがギターを弾くみたいな感じですよ(笑)。

新作について

佐々木:最後に、現在準備中の新作についてお話しいただけたらと思います。
原:今撮ってるのは『双子の星』という双子ちゃんの映画です。宮沢賢治の『双子の星』をモチーフにして、賢治の宇宙観から今の宇宙観までを全部ぶち込んだ壮大なものをつくりたいと思っているんですね。土星の衛星エンケラドスに生命が誕生しそうな星が見つかったり、小惑星探査機はやぶさが小惑星からサンプルを持ち帰ったりと、日本の宇宙科学は20世紀の終わり頃からすごく進歩してるんですよ。なぜかというと、日本では宇宙科学にスーパーコンピューターを最優先で使えるようになったからです。アメリカの場合はやっぱり軍事目的が最優先で、宇宙科学者は取り残されてしまうんです。でも日本の場合は、やっぱり憲法九条が偉大なもので、スーパーコンピューターを軍事目的には使えないんですよね。だから地球科学も含めた惑星科学、宇宙科学が進歩していて、いろんなことがわかってきているんです。
それで、プレートテクトニクスという学問があるんですけども、そこで言われているのは、実はマントルとプレートの動きが地球の大気の組成を変えた。プレートが動いてるうちに大気のいろんなものを吸収して、それが岩石をつくったり、二酸化酸素が薄くなったりして、やがて生命誕生につながった、みたいなね。それがすごくおもしろいなと思ってます。
あとは、地球から三光年ほど離れたところに位置する赤色矮星には生物がいる可能性が高いという話もあります。そこでは基本的に温度が低いので、赤の光が強いんですよね。だから地球とは違って、もう少し赤寄りの風景になってるんじゃないか、花にしても赤い花が中心に咲いてるんじゃないかとか、そういう映画を撮っています。できればライブで双子ちゃんたちに歌わせたいなと思っていて、そろそろ歌の特訓もしたいなと思ってるんですけども。
佐々木:事前に聞いたお話では、双子ちゃんが宇宙科学について語るという構想もあるそうですね(笑)。期待が高まります。MAORIさんはいかがですか。
MAORI:私は『双子の星』のメイキングをつくってみようかなと考えています。『MI・TA・RI!』では二人で撮ったものが融合されたんですけど、作品を共同でつくるってとても難しいんですよね。やっぱりどちらかが引くことが必要になったりもしますので。ですから今回は、原監督にはお好きなものをつくっていただいて、私は私で一つの視点をまとめてみたいと思っています。
佐々木:なるほど、おもしろいですね。メイキングという枠に収まらない、MAORIさんのアーティストとしての作品になるということですね。
MAORI:そうなれば。そして、やっぱりこれからも、原監督の作品を作るお手伝いができればと。
佐々木:それでは、このあたりで終わりたいと思います。原さん、MAORIさん、比嘉さん、そしてご来場していただいた皆様、本日はありがとうございました。